【21年12月2日】誰でもこだわっている数字、ラッキーナンバーにしている数字があると思います。車のナンバープレートの数字を自分で選べる制度になってから、1122,1188,72,3939,などのナンバーの車をよく見かけるようになりました。偏見ですが、1122や1188は安全運転の車が多く、36や72はゴルフ場の駐車場でよく見かける気がします。山梨県に行くと3776(富士山の標高です)もよく見かけます。その他、心に残る年号と思われる数字や、生年月日の数字をナンバーにしている車もあるかも知れません。

為替相場では売買オーダーが集まりやすい数字があります。USDJPYでは00.50という区切りの良い数字に売りや買いのオーダーが集中します。欧米ではそれらに加えて、25,75というクオーターがらみの数字にもオーダーが集まります。そんな中で、110,115,120などの切れの良い数字には特に様々なオーダーが集中します。先月、偶然にもUSDJPYは115.00,EURUSDは1.1500という数字がトレードの対象になりました。USD買いの相場だったため、USDJPYは114円台から115.00の上抜け、EURUSDは1.15台から1.1500を下抜けて1.14台へ入るかが、一時市場で話題になりました。

最初に11500の数字が話題になったのは、EURUSDのほうでした。EURUSDの1.1500には、以前から膨大なオプション玉が観測されており、その手前での防戦買いが話題になっていました。これが下抜けると今度は膨大なロスカットの売りが予想されます。この1.1500に対する攻防戦は10月初旬から開始されましたが、1か月以上接近はするものの、タッチすることもままならないレートでした。そして1か月後の11月10日についに1.1500は攻め込まれ、下抜けし,その後1度も1.15台を回復していません。回復どころか、1.1500に触ることもできず、先月下旬には1.11台後半にまで下落しています。

一方のUSDJPYは10月中旬から114円台を見るようになり、いずれ115円の機運は高まってきましたが、いよいよ本格的に114円台に乗せて115円が照準となった日は、偶然にもEURUSDが1.1500を下抜けした11月10日でした。そしてついに115.00にタッチして突破したのは、11月23日、日本が祝日の昼間でした。

この日の新聞やテレビは、ついに115円台の円安と大きく話題にしました。NHKの正午のニュースのトップも飾りました。しかし、その後のUSDJPYの動向はEURUSDとは大きく違いました。USDJPYの115円台は定着せず、かろうじて115.50は見たものの、3日ともつことはありませんでした。そしてコロナ変異株のニュースをきっかけに、大幅な下落に転じたのは、みなさんがご存じの通りです。

USDJPYの115.00も、EURUSDの1.1500同様に、売りオーダーやオプション玉は観測されていました。同じUSD買いの方向だったにもかかわらず、この結果の違いはどこから来るのでしょうか。リスクオフ要因やその他のファンダメンタルズ、取引量の違い、クロス取引等、様々な原因があったのでしょうが、私が一番注目しているのは、11500当時のマーケットのポジションです。

上のチャートはUSDJPYとEURUSDの週足です。緑色のグラフにつけた矢印は、11月15日の週のIMMのポジションを表しています。(115がテーマなので、週足の矢印もあえて11/15を選びました。ただのシャレです)

一目瞭然ですよね。去年の今頃、アナリストの大半は今年のUSD安を予想していました。IMMのポジションもその予想に沿ったように、年初はUSDJPYのショートとEURUSDのロングを構築していましたが、途中でその間違いに気づいて、USDJPYは3月下旬からロングに転じています。そしてそのまま、11月までロングを積み増していったのです。一方のEURUSDですが、こちらはEURUSDのロングポジションこそ減らしていきましたが、11月まで大きくショートに転じることはありませんでした。多少ショートか、ほとんどスクエアな状態です。

このIMMのポジションからわかるように、数字は同じ115でしたが、市場のポジションの内容がUSDJPYとEURUSDではまったく違っていました。USDJPYはパンパンのロングの状態で115円を迎えましたが、EURUSDは1.1500を下抜けてダウントレンドが明確になっているにもかかわらず、まだ「売れていない」状態なのです。これがUSDJPYとEURUSDの動向の明暗を分けた一番の原因と私は考えています。

マーケットの織りなす数字について、色々考えることは楽しいです。すごい昔の話ですが、USDJPY,GBPUSD,USDCHFの大台が全て152となった時がありました。私がまだ駆け出しの銀行ディーラーだった頃です。興味のあるかたは、それがいつだったか、探してみてください。